りんごやSUDA三代目
須田治男さんのりんご・プルーン
果樹栽培の限界と言われた高地が
今やリンゴ栽培の最適地に!
1973年生まれの須田治男さんを訪問した日は、雲一つない見事な秋晴れの日でした。佐久穂町は標高800m超と高いことに加え、この日は雲がなかったため、東京と比べて気温は6〜7℃ほど低かったはずです。
佐久平駅を降りた時も、空気の冷たさを感じましたが、そこらか40分ほど車を走らせた高原地帯にある須田さんの園地は、さらに空気が冷たく感じました。冬には、マイナス16度になります。
長野県の佐久穂町はこの天候が普通で、毎年雨が少なく降雨量は年間800〜900mm程度と極めて少なく晴天率が高い土地です。
須田治男さんは、北八ヶ岳の麓である八千穂高原で、りんご・プルーンを栽培しています。
2024年10月12日撮影
標高920メートルの園地
引き締まった、高糖度の果物ができます
果樹栽培の限界と言われる標高1,000メートルに迫る920メートルの園地。
1980年代前半、須田さんがまだ子供だった頃は現在よりもずいぶんと寒く、家業のりんごは、気温の低さで大きくならず糖度も上がりにくい環境だったそうです。
しかし、日本各地で平均気温が上昇して、ここ数年おいしい果物を作ることが難しい状況となっている中、佐久穂町は、果樹栽培の最適地になっていると言います。
「りんごは蜜の入りも良く、引き締まった糖度の高いものができます。水分が不要なプルーンも、糖度が高いです。八ヶ岳から吹き降ろす冷たい風の影響で虫も少ないので、農薬も少なくて済むんですよ。」
年間降水量は例年800〜900mmと極端に少ない土地で、日照時間も長く、高い標高から来る気温の低さ。まさに農作物の栽培には理想的な環境です。
昭和2年の創業以来、有機質の肥料を中心にした栽培
お父様の代から、独自で販路を切り開いていきました。
お祖父様の代から土づくりを重視した栽培方法を行っています。バーク堆肥を中心に有機質の肥料を使い、化学肥料・農薬の低減を一体的に行っています。
1980年代前半、いわゆる系統流通(市場を介した流通)だけでは、いずれ生産者として先が細くなっていくことを危惧した先代のお父様が、独自で販路を切り開いていきました。
インターネットが発達した今でこそ、様々な販売先とつながることも簡単になりましたが、当時はインターネットはありません。大変な苦労があったはずです。
しかし、その甲斐あって「須田さんのリンゴは美味しい」と口づてで広がりました。須田さんは現在、リンゴ3ha、プルーン1haと広い土地をもっていますが、昔からのお客様の注文でほとんどが売り切れてしまうそうです。
「8割の熟度ではなく、完熟してから収穫しています。その日に収穫したものをお客さんに出すことがこだわりです。」
と須田さんは言います。
佐久穂町と一体となって取り組む「産地化」
須田さんは、積極的に問い組む第一人者です
全国シェア約7割のプルーン生産量を誇る長野県の中でも、佐久地域は、日本で最初にプルーンの産地化が行われた地域で、全国有数の産地です。
それにも関わらず、佐久穂町の知名度は高くありませんでした。そこで、佐久穂町と生産者が協力して、2017年から知名度向上に取り組んでいます。須田さんはとても精力的に取り組む、産地化の第一人者です。
「町が凄く協力してくれたんです。糖度計を導入できたことがブランド化するうえで重要だったのですが、高額な糖度計を佐久穂町が生産者に購入してくれました。その甲斐あって、佐久穂町のプルーンのイメージが確実に上がっていると感じます。」
須田さんは、地域で埋もれてしまうプルーンをなんとかしたかったという思いから、プルーンブランド研究会の会長を務めています。八千穂高原紅葉祭りにも農作物を提供するほか、佐久穂町が出店する都内のマルシェにも駆けつけて店頭販売に協力するなど、精力的な方です。
また、子供たちの収穫体験イベントなどにも協力し、地元から頼られている生産者です。共同体という考えの元、行政と生産者が一体となって取り組む佐久穂町。私達も応援していきたいと思います。
文:(株)食文化 赤羽 冬彦