大分・竹田のサフラン
“世界で最も高価なスパイス”に
知られざる国産120年の伝統
国内生産の8割
「大分・竹田のサフラン」
シェフも注目の高品質
スペインを代表する料理パエリアや、仏プロヴァンス地方の魚介スープ・ブイヤベースに欠かせないサフラン。日本では料理好き以外にはなじみが薄いこの高価なスパイス、一般的に売られているものは海外からの輸入品です。実は、大分県竹田(たけた)市で作られる国産サフランには120年の伝統があり、世界的にもユニークな「室内栽培」という手法や品質の高さで、西洋料理のシェフたちから徐々に注目される存在となっているのをご存じでしょうか。その歴史をたどりながら紹介します。
国産サフランは明治時代に
薬用として栽培が広まった
1gで1000円以上の値が付くサフランは、世界で最も高価なスパイスといわれます。乾燥して赤い糸状になったものの正体は、クロッカス・サティウス(Crocus sativus)という学名の花のめしべで、年に一度、秋に咲く紫色の花からめしべだけを選り分ける工程はすべて手作業で行われるうえに収量はごくわずか。価格が高くなるのも当然です。
世界全体では年間300トンほど生産されており、その80%を占めるのがイランで、インドやスペインなどでも生産されています。寒暖差の大きな乾燥した土地が生育に向くサフランは、日本で流通しているもののほとんどがイランとスペインからの輸入ですが、大分・竹田(たけた)の地では、明治時代から続く国産サフラン栽培の伝統が継承されています。
サフランの別名は「バンコウカ(蕃紅花)」。日本の医薬品の規格基準書である「日本薬局方」には1886年の初版から生薬として収載されています。そう、日本のサフランは料理のスパイスとしてではなく、漢方薬として使うために神奈川県で栽培が始まったのでした。以来、兵庫県、佐賀県、広島県などでも栽培され、多くは海外と同じく大規模化が可能な露地栽培でしたが、球根が腐る病害で全滅する歴史を幾度か繰り返して、現在、国内では露地栽培はほとんど行われていません。
世界的にも特殊な
サフランの室内栽培「竹田式」
一方、「室内栽培」という世界的にもユニークな栽培方法を編み出したのが、竹田の生産者たちでした。1903年に吉良文平氏が種苗を導入。「土なし、水なし、日光なし」の条件下でも花が咲くことに気づき、1910年頃には室内栽培の「竹田式」が考案されます。これは、冬の間は畑に植えて土の中で育てた球根を、初夏になったら掘り出し、以降は直射日光の当たらない風通しのよい室内に並べて保管する、という方法。秋になって気温が下がると室内で開花し、花を摘んでめしべを収穫します。以来、その栽培方法が守られており、現在では竹田産のサフランが国内生産の8割を占めているといいます。
気温12〜10℃で開花。
「その日に1つずつ手摘み」
10月末。竹田のサフラン農家は一年で最も忙しい収穫期を迎えます。
サフラン生産者である八世屋(はっせや)の長谷川敦子さんの家では、5月頃に畑から掘り出された約10万個のサフランの球根が、トレーに並べられて暗い室内で静かにその時を待っています。8〜9月頃に気温が18℃以下になると芽が出て茎が伸び始め、さらに10月下旬頃にかけて気温が12〜10℃を下回るようになると、紫色の花が次々に開花します。
「朝に咲いた花は、その日のうちに摘み取らないといけません。家族だけでは手が足りず、この時期にいつも応援をお願いしている人たちに、『今年はちょっと遅くなりそう』などと随時連絡を入れながら、なんとか人員を確保しています」
摘んだ花からめしべだけを選り分けると、見たことのあるサフランに近い形状になります。これを乾かしたものがサフランになります。1つの花からとれるサフランはたった3本(注:めしべ1本が3本に分かれる)。しっかり乾燥させた1gのサフランを得るには約100個もの花が必要で、長谷川家の子どもたちはもちろん、高校生や主婦のパート、近隣の福祉施設からの人員も加わって、細かな手作業が連日続きます。
西洋料理のシェフも注目する
「国産サフラン」の品質の高さ
竹田の地で明治時代から一貫して守られてきた室内栽培という方法には、収穫期に花を風雨から守れる、労働集約で作業効率を上げられる、などのメリットがありますが、品質面でも良い点があると長谷川さんは言います。
「暗室で栽培すると光合成ができないため、球根から葉がほとんど出てこず、白い茎だけがすっと伸びて花が咲きます。そのため栄養が花に集まり、大きくて高品質なめしべが得られます。また、めしべの赤色が日光の影響で退色することがほとんどないため、色鮮やかなめしべが得られて、乾燥させたサフランの発色もとても良くなります」
こうした品質の高さが、国内で活躍する西洋料理のプロたちに徐々に知られるようになり、東京・銀座で10年以上連続で世界的なグルメガイド本に掲載されているイタリアンレストランや、ナポリピッツァの名店を率いるシェフに選ばれているそうです。
移住して9年、竹田のサフランの「120年の伝統を守りたい」
今では日本一のサフラン生産者となった長谷川さんの八世屋ですが、年間で2kg程度の生産量では「家族5人が食べていくことはとてもできません」と苦笑いします。以前は宮崎県でキュウリ農家を営んでいた長谷川家。夫の暢大(のぶひろ)さんがたまたま国産サフランの存在を知り「生業にしたい」と移住して9年。ようやく安定して栽培できるようになる間にも、竹田のサフラン農家はどんどん減り、50戸ほどから20戸ほどになってしまったといいます。「竹田でも、農業を担う人たちが高齢化し、現在47歳の私たち夫婦が最も若手の生産者(笑)。私たちに続く若手の生産者が現れていないのが課題です」(長谷川さん)
後進が現れない一番の要因は、サフラン農家を生業にすることの難しさ。サフランの生産量が1990年ごろに減った背景には、大口の需要家であった薬用酒メーカーが処方を変更してサフランを使わなくなったことがありました。「(後進に)生産のノウハウは開示できても、売り先を広げるのは簡単ではないですし、短い収穫期に多くの労働力を確保するのも難しい問題です。収入面でも、サフランだけでやっていくのは難しく、私たちもキュウリ、オクラ、ズッキーニ、ホウレンソウといった野菜も育てながら、サフランの栽培を残していきたいと頑張っています」。
そのために、地元の小学生にサフランのことを伝える授業をしたり、給食にサフランを取り入れてもらったりと奮闘する敦子さん。国内の他地域に目を向けると、九州を中心に竹田式のサフラン栽培に新たに取り組む人たちが現れてきました。「植物工場にできないか、と視察に見えた方もいます」。
炊飯器に投入、鍋のシメに
使い方は意外と簡単
サフランに興味はあっても、パエリアやブイヤベースをそんなに頻繁には作らないし、余らせてしまいそう……。そう考えがちですが、長谷川さんはもっと気軽に使ってほしいといいます。
「私自身も栽培に取り組む前はほとんど使ったことがありませんでしたが、一番簡単なのはご飯を炊くときに、一晩水に浸けたサフランを水ごと一緒に炊飯器に入れるというもの。鮮やかな黄色いご飯は、カレーや洋食にはもちろん、太巻きをつくるととても色鮮やかになります。サフランの香りは魚介ととても相性がいいので、魚好きの日本人と相性のいいスパイスだと思います」。寒い季節には、たらちりなどの鍋のシメに、サフランとご飯などを入れるのもおいしそうです。
ほかにも、スープやクリームシチューなどに入れれば鮮やかな色と風味が加わります。ちなみに、産地・竹田ならではの使い方としては、焼酎にサフランを入れて、黄色いお酒を飲むのだそう。サフランは健康を支える食材として、漢方やアーユルヴェーダなどで長く使われてきた歴史があるので、お湯にサフランを数本入れるだけの「サフランティー」を日常的に飲むのもおすすめだと長谷川さんはいいます。
文/大屋奈緒子
写真(料理、商品)/八木澤芳彦、写真提供/八世屋